同志ようもないこともあるわけで
朝のつづきゲバラ
えーとどっからだっけ?色々激戦あって農民とか集まって占領地増やしていって食料作って農民の連絡網作って他の反バティスタ組織取り込んで、で、ゲバラがゲリラ指導して…って話
ほんまもんの現地調達。まあ軍じゃ中隊くらいは自活できるからね
でもえらい物資不足。当たり前なんですけどね
ゲバラは医師免許持ってて従軍医とかしてたんですね
エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ ( チェ・ゲバラ)
大抵戦場じゃあ大歓迎されるとこなんですけどいかんせん物資がない
しかも虫歯持ちが多くて、そんなのもう抜くしかない。医者でも歯医者じゃないし
ゲバラ 「(プライヤー持って)(^O^)/はーい、お口アーンして」
患者 「ヤメロー死ニタクナーイ」
ゲバラ 「痛かったら手をあげてくださーい」
患者 「ハーイ マジ死ヌヤメロー」
ゲバラ 「神に祈れっ!」
…もうねえ 物資がないっつったってなあ
後に野戦病院作ります
そしてカストロ やっぱりすごかった
ニューヨーク・タイムズ紙からのインタビューがきた時も弟のラウルに一芝居うたせてから、解放軍の大隊がきたとか言わせて記者を驚かしてます。もちろんそんなに兵力なんてありませんでした
ゲバラをNo.2にしたのも非常に冷静でよく状況を見たうえでのことだったとか
キューバ内の新聞にも目をつけ、あとラジオ放送もしてました
ちなみにRage Against the Machineの『Guerrilla Radio』はこれが元ネタ
あと機関紙も発行 薄い新聞が熱くなる
こうして貧しいキューバ国民の支持を集めて勢力も拡大してくと、バティスタも焦ってくるわけで
アイゼンハワー政権下のアメリカから爆撃機購入。でも密林の奥深く入っていた解放軍を上空から一掃とか無理
(Konozamaプライム 返却不可)
ベトナム戦争でアメリカがおんなじことしました
そうしていよいよ最終決戦の地、キューバの中央にあたるサンタ・クララへ
道程でもかなりの激戦。まさに血ヘド吐いて地を這い泥水すすり涙をすすり仲間も倒れていき
しかし、さらに隊列に加わる者たちも増え、カストロらの軍は大きくなりながら進んでいきます。
サンタ・クララはバティスタにとって要の地
その交通やらライフラインを攻撃でバティスタ軍も士気ダダ下がり
一方、カストロ軍の進軍は止まらない
実質的にサンタ・クララが心臓部だったからもうそこ抑えられたらハバナからじゃもう手足が出ねえってことだから逃げるしかありません
かつて戦場となったサンタ・クララにあるゲバラの像
当然、いわれなくてもバティスタサッサだぜ~ ってことで1959年 1月8日 カストロがハバナ入りしてキューバ革命はかなったのです
しかし、その解放軍達は言ってました。ここからが革命で困難の道だと
そしてその通り、それからはとても平坦ではありませんでした
政策面での失敗、キューバ危機からボリビアでのゲバラの死、ソ連崩壊による経済危機、食料や物資の不足、アメリカの制裁、亡命者増加…
バティスタ政権下のときの戦争犯罪者ら五百五十人の処刑はありました。拷問、虐殺に手を染め、二万人のキューバ国民を手にかけてきたとかほおって置くこともできないだろうし
少なくとも他の共産圏みたいな個人崇拝はせず ーカストロは自分の偶像を禁止したー 粛清からの大量虐殺みたいなものはなかったので、そこは中国や北朝鮮(つーか共産主義って言えんのか)と一線を画すかと
もちろん評価もわかれるところだと思います
まあ問題はまだあるんですが、それでもどうにかここまできたと
国民性とかもあるかもしれませんね。成功してる面もありますし
キューバ国旗 1902年のスペインからの独立から掲げられた旗は革命後も変わらなかった
さて、かなり色々とはしょりまくって色々書きましたが…
今の生活に慣れた身としては中々、社会主義とか共産主義とか理解しにくいところも賛同しにくいところもあるし、ごちゃごちゃいう資格はないかもですが…
背景には大国が南米に住む人たちから搾取してたことがありましたし、国連でのアメリカのお門違いな避難に対し、堂々とものを言う姿はかっこよかったっすね
主義主張に違いがあっても、本当にカストロもゲバラも人々のことを考えていたんだなーっと
つーか日本のお上、みーんな都合の悪いことは『イワンのばか』